世の中はクソである。

世の中はクソである。

居場所がほしい

英国紳士のレディーファーストを見習えとか言う海外かぶれ馬鹿女。

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世の中には『海外にかぶれた勘違い女』が山のようにいる。ヨーロッパやアメリカに短期留学をしたことのある女に多い。

以前会った女はイギリスに2週間留学したことがあると言っていた。その女と二人で居酒屋に行ったのだが、女いわく『イギリスの男は常にレディーファーストでジェントルマンだった。』となんか少し偉そうに語っていた。

 

お前が偉そうにする理由がわからない。しかも2週間て. . .。

 

そして僕が何をしたわけでもないのに、なぜか日本人男子というだけでdisられた感じがした。会計時この女はもちろんバッグから財布を取り出すそぶりもなかったので、僕は圧力に負け彼女の分も奢るはめになった。(糞)

 

その一件以来、なんか心がモヤモヤしていた。レディーファーストってなんなんだ?

ちなみに僕はレディーファーストをあまりしない。なんと言うか、する側もされる側も慣れてないと変に恐縮していまうし、そもそも『いちいち面倒くさい』。ドアを開けたり、椅子をひいたり、別に自分でやれるんだからやればいいじゃん。バカじゃん。と思っている。

なので荷物をもってあげる等のパワー系援助しかしない。これはお年寄りの荷物を持ってあげるのと同じでレディーファーストというより、ただ『困っている人に手を差し伸べる』という行為だ。

 

レディーファーストとはなんなのか?レディーファーストとは本当に優しさや女性に対する敬意ゆえのものなのだろうか?

僕は色々と考えた末、レディーファーストというのは別に女性に対する優しさや敬意ではなく、単なる慣習だということに気づいた。つまり、イギリス人のレディーファーストというのは日本人の『いただきます。』と一緒なのだ。

 

我々の『いただきます。』は「命をいただきます。」が語源と言われ、生命への感謝、また生産者への感謝を表している。

しかしながら、食事の際必ず『いただきます。』を言う育ちの良い子であっても、食べる前に真剣に目の前にある生命の犠牲をしみじみと感じ、生命に対する深い敬意の念を唱える人はいるだろうか?

 

つまり、『いただきます。』というのは元々は生命への敬意からくるものではあるが、結局一般的には単なる慣習であり、それ自体に深い意味はないのだ。

イギリス人のレディーファーストも同じようなことが言える。彼らにとってレディーファーストというのは、元々は女性に対する優しさや敬意からくるものであったとしても、実際は単なる慣習だ。別に女性に対してとりわけ敬意を払っていなくてもレディーファーストはするだろう。

 

つまり話を元に戻すと、『イギリスの男はレディーファーストでジェントルマンだった。』というのは『日本人は食事の際いただきますと言って生命に感謝していた。』と同じなのだ。

「いただきます。」と言ったからといって、その場で深く生命への感謝を行ってるわけではない。同じくレディーファーストも別に優しさとかではない。

そして我々にとって「いただきます。」を言うことは彼らにとってのレディーファーストと同様、別に『スゴイこと』ではない。小さい頃から訳もなくそうしろと言われてきたからだ。

 

レディーファーストをする英国紳士達はドアを開ける時、椅子を引く時、たぶん何も考えていない。それを理解していない勘違い海外かぶれ馬鹿女の中では『海外の男はレディーファーストができるから優れている。日本人男子よ見習え』となる。

国が違えば様式も違う。それだけだ。

レディーファーストについて書いていたら、水野敬也著『LOVE理論』のうわっつらKINDNESS理論を思いだした。レディーファーストとは『ナチュラルうわっつらKINDNESS』なのかもしれない。